「サヴァン症候群」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
サヴァン症候群(savant syndrome)は、「知識豊富な人」を表す英語「savant」から名前を取られているように、特定の分野で優れた能力を示す言葉です。
脳の発達障害や自閉症を伴うことが多く、それと対照的に「本を丸一冊暗記」したり「一度見た景色を細部まで再現」できたりと常人ではありえないような能力を持ちます。
彼らの脳内ではどのようなことが起きているのでしょうか。
サヴァン症候群
サヴァン症候群は上述の通り、脳機能の障害と関連することが多くASDの人の10~25%を占めるとされています。
一方で本の丸暗記のように常人とかけ離れた能力は、芸術、数学、音楽など他分野で機能します。
有名な話では、未来4万年のカレンダーから特定の日付を伝えると「その日が何曜日か」を瞬時に回答できる人もいるようです。
これは、カレンダーに強い興味を持ち曜日を算出する数学的規則を独自に見つけ、適用した結果とされています。(あるいは4万年暗記しているのかも)
別の例では、ロンドンを一度観光しただけで(その経験がたとえ数年前だったとしても)景観を思い出して緻密な絵を描くことができたという例もあります。
サヴァン症候群は先天、後天を問わず発症しますが、後天的な発症の場合は事故による脳損傷が伴います。
サヴァン症候群は極端な右脳指向?
現時点でわかっていることは、サヴァンの人の脳解剖、画像診断によって「左脳」の機能に障害が確認されるケースが多いということです。
左脳は、「言語」「論理的思考」「記号や言語を使った抽象化」を得意とする部位です。
一方でサヴァンの人が得意とする「音楽」「芸術」の分野では、「メロディーの把握」「空間認知」「具体的なもの・ことに対する思考」の処理に長けた右脳が重要な役割を果たすとされます。
つまり、サヴァンの驚異的能力は「極端な右脳指向」に担保されていると考えることができます。
実際に左脳に銃弾を受けた少年で、事故後、多段変速の複雑な自転車を説明書も見ずに分解・再組立てができるようになったという報告もあります。
この症例に対する仮説は、「左脳の損傷によって受けた障害を、右脳が補うように発達したのではないか」というものです。
つまりサヴァンの能力の源泉は、右脳の発達にあるとするものです。
少し話がそれますが、脳科学には「Anti-correlation」という概念があります。
これは、「一方の機能が活発な時に、もう一方の脳部位は抑制されている状態」を指します。
「左脳の損傷」は極端な例ですが、これも「Anti-correlation」のひとつといえるかもしれません。
驚異的な記憶能力の源泉は?
では、「本の丸暗記」「ロンドン市街地の再現」に代表されるような驚異的記憶能力はどう説明しましょう。
人間は「雑誌で見たリゾートホテルの電話番号」や「新調したパソコンのシリアルナンバー」のように(その情報が重大であると判断しない限り)気にも留めないような情報にさらされています。
しかし、サヴァンの場合これら不要とされる情報も「忘れることができない記憶として保存してしまうのではないか」という仮説があります。
つまり私たちが記憶を形成する経路とは別のネットワークで記憶しているのではないかとするものです。
例えば、楽しかった旅行の記憶は視覚、聴覚、嗅覚などの感覚情報や感情記憶とともに大脳皮質に保存されます。この場合のネットワークは海馬、偏桃体を通して各感覚野(聴覚野、視覚野など)と紐づきます。
また単語の意味や歴史的事実のような意味記憶は側頭葉(これも大脳皮質の一部)に保存されます。
一方で「ピアノの演奏」「自転車の乗り方」のような手続き記憶は進化的にいえばより原始的な大脳基底核に保存されます。これは無意識な記憶です。
「本の丸暗記」のような記憶は無意識的、かつ無感情的な記憶です。そう考えると、後者の大脳基底核ネットワークに近いといえます。
サヴァンの人はエピソード記憶や意味記憶のネットワークに障害が生じたために、それを補う形で大脳基底核の記憶処理を発達させたのではないかとされています。
本一冊を暗唱する際に、思考や感情を挟まないのは楽器演奏、自転車の乗り方に近い記憶形態である「手続き記憶」に近いものがあります。
このことから、記憶の手段としてのネットワークが常人と異なるという仮説が成り立ちます。
この仮説を正とするなら、一見羨ましいように見える驚異的な記憶力も「特定の脳機能」を犠牲にして成り立っていることになります。
私は普段読書をして得た知識を以下に定着させるかを常に考えていますが、ここでは常人とかけ離れた能力に対する憧れ、羨望といった感情はそっとしまっておいた方がよさそうです。
Hyperthymesiaとは
驚異的な記憶能力という意味では、「Savant syndrome」のほかにも「Hyperthymesia」と呼ばれる状態があります。
「Hyperthymesia」は、強い関心を持つ事柄に対しての非常に詳細な記憶を持つ状態を指します。
例えば、「今まで見たことのあるテレビの番組をすべて記憶している」例がアメリカで報告されています。
対象者の研究から、「共感覚」「強迫観念症」などを持つ可能性が示唆されています。
脳は関心の強い事柄に接したとき、「θ 波」(シータ波)という脳波が観察されます。
これは、記憶の中枢である海馬を活性化して記憶が長期的に保存される可能性を高めます。
「興味のないことは憶えが悪い」というのは、経験上からもわかると思いますが脳の活性からして違う反応を示しているということになります。
これらを合わせて考えると、「Hyperthymesia」は、「非常に」強い興味関心を持った事柄の鮮明な記憶を持つことはうなずけます。
前述の通り、θ-波が出ているときの脳内では「長期記憶保存」が起きやすくなっていると説明しました。
長期記憶の形成について、もう少し詳しく知りたい人は以下の記事を参考にしてください。
サヴァン症候群の記憶力が羨ましくなったときに
ここまでを見てきて、「自分にも精確な記憶能力があったら・・」と思うのは人情でしょう。
しかし、写真のように正確な記憶は私たちに有益なのでしょうか。
「スズメ百まで踊り忘れず」という諺がありますが、一度憶えた情報を死ぬまで忘れないという状況を指します。
これは裏を返せば、「死ぬまで同じ方法でしか踊れない」という解釈もできます。
人間ほど脳が発達していない動物では、記憶の内容はより具体的であるといわれています。
この違いは、「本質を抽出できるか」の違いではないでしょうか。
我々ヒトの記憶はあいまいで、時に間違った形で思い出されることさえもありますが、これは脳が発達した証であるともいえます。
前述の雀の例でいれば、踊りの基本動作パターンをいくつか憶えておけば他の踊りでも応用が利くでしょう。
つまり「細部までの正確な記憶」はこの場合不要です。
他の踊りとの共通項さえ見いだせればそれでいいと考えることができます。
また不要な情報は「忘れる」ことができるのも脳の優れた機能のひとつです。
原始的な動物では、記憶を消去するのに時間がかかる(忘れることができない)場合もあり、それが間違った情報や不要な記憶なら生存に不利になります。
わたしたちは自分の記憶力に自信を失うことがありますが、結論として「気にする必要はない」ということです。
今日はここまで!
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